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12.03.26.松浦壹岐守家屋敷跡 西面(台東区浅草橋)

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Photos: 12.03.26.松浦壹岐守家屋敷跡 西面(台東区浅草橋)

Photos: 12.03.26.松浦壹岐守家屋敷跡 南東角(台東区浅草橋) Photos: 12.03.26.堀石見守家屋敷跡(台東区浅草橋)

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2012年10月30日 22:40

松浦壹岐守――
まつら いきのかみ。まつうらではない。
江戸期の諸大名の中でもその家名と土地の古さはトップクラス。平安時代より肥前国松浦地方の頭として存続しており、明治時代まで(以降も)絶えることなく続く。九州の名家、島津・大友は東国御家人。
松浦の旧名は末廬国(魏志倭人伝にも登場している)。
宗家 平戸松浦氏(ひらどまつら)は正しくは嫡流ではない。上松浦、下松浦という二大党派の傍流と数多の氏を改めた一族の分家・支族は30を超す(一族はそれぞれの拠点地を苗字としている)。
松浦氏の祖は源 久(みなもとのひさし)。嵯峨源氏。別名を渡辺久。松浦正(上松浦嫡流)、松浦直(下松浦嫡流)は子。元寇で奮戦したと知られる“肥前の松浦党”とはこの家のこと。瀬戸内海の水軍系氏族の棟梁だった渡辺党の分派とされる。
水軍の代名詞にも扱われ、歴史ある名家のはず。それが表舞台に姿がないのは、一族の分散と争い、その結果の寄合所帯が原因と思われる。“家”ではなく、“党”と扱われていたのがなによりで、「海賊大名」と蔑称された。
(水軍が大名化したのは、瀬戸内の村上氏、東海の九鬼氏といるが、地理的に中国や朝鮮に近く、元寇、和冦、戦国期の南蛮貿易など、日本史上において珍しい事績をもつ大名だ。)
室町時代、6代義教の信任を得て以来、本家を凌ぐ勢力を誇るようになった。その中で惣領家や諸家を従え、滅ぼし、台頭したのが平戸氏(平戸に本拠を置いた、下松浦の傍流。直5男の系統)。
戦国時代(永禄年間、1560年代)、上松浦氏嫡流 相神浦松浦家を従えた。時の当主は松浦隆信、25代当主。

開幕後の初代当主、肥前国平戸藩初代藩主は平戸松浦氏26代、松浦鎮信(まつら しげのぶ)。
(肥前国松浦郡のうち47村、彼杵郡のうち7村。壱岐国一円 壱岐郡11村、石田郡11村。)
1、鎮信(しげのぶ)、従四位下、肥前守、式部卿。
2、久信、従五位下・肥前守。
3、隆信(りゅうしん?)、従五位下・肥前守、壱岐守。
祖父 鎮信は、平戸イギリス商館や平戸オランダ商館開設に尽力した人物として、イギリスでは“日本のルクルス”と呼んで賞賛されたが、隆信は貿易に無理矢理介入し、多大な損を被らせた人物として、「Foolish tono(バカ殿)」という不名誉な仇名が付けられた。
4、鎮信、従五位下・肥前守。
片桐石州に師事し石州流の皆伝を受け、今日鎮信流として知られる茶道の一派の開祖。
5、棟(たかし)、従五位下・壱岐守。
志佐・調川の1万石を弟の昌(まさし)に分与、平戸新田藩(ひらどしんでんはん)立藩。
6、篤信、従五位下・肥前守。
7、有信、従五位下・壱岐守。
8、誠信(さねのぶ)、従五位下・肥前守。
嫡子 邦(くにし)。従五位下・壱岐守。家督を継ぐことなく26歳で早逝。3男 政信。従五位下、壱岐守。嗣子となったが家督を継ぐことなく37歳で死去。政信長男 清が嗣子となる。
9、清、従五位下・壱岐守。贈 従三位。
10、熈(ひろむ)、従五位下・肥前守。
11、曜(てらす)、従五位下・壱岐守。
12、詮(あきら)、従五位下・肥前守、従四位下、正二位勲二等。
明治3(1870)年、平戸新田藩合併。
武家茶道の流派 鎮信流を継承する、石州流鎮信派の家元。婦女子教育の一貫として、茶道を女子学習院、日本女子大学その他の学校で指導した。

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