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息栖神社(神栖市) 二の鳥居

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Photos: 息栖神社(神栖市) 二の鳥居

Photos: 息栖神社(神栖市) 二の鳥居 Photos: 息栖神社(神栖市) 常陸利根川西南向き

――mixi記事コピペ――2013年11月29日 14:26

いきす。かみすし。
御祭神、岐神(ふなどのかみ)
相殿、天鳥船命(あめのとりふねのみこと)・住吉三神
御神徳、厄除招福・道標・交通安全・家内安全。
・航空守護・航海守護・道標。
・心身の清浄、災難厄除、出世、学問、航海安全・交通安全、商売繁盛、安産。
御神体、井戸

創建、神功皇后3(?)年・応神天皇御代?
大同2(807)年、当地に遷座。

東国三社。常陸国。
古くから三社を一緒に巡拝する慣習があり、参拝客が利用する息栖の河岸は利根川水運の拠点として江戸時代から大正時代まで栄えた。江戸時代には「下三宮参り」と称して、関東以北の人が伊勢神宮参拝後に東国三社を巡拝する慣習があった。
地理的関係から、鹿島神宮の影響が強く、同社の摂社とみなされていた。明治10(1877)年、正式に分離され、県社の社格が与えられた。
※当社の由緒書・境内表記では鹿島神宮の摂社であるという記載はないが、鹿島神宮側では当社は独立した神社であるが現在も摂社であるとしている。

古くは「おきす(=沖洲)」と呼ばれていたことから、元は香取海に浮かぶ沖洲に設けられたと考えられている。社伝によると、応神天皇の時代に現在地より南西の、日川地区に創建されたとされる。この頃は“沖洲の津”、“沖洲瀬”の意から「於岐都説」(オキツセ)と言った。息栖五所明神と呼ばれた時代もある。江戸時代には息栖の名から、御祭神は気吹戸主神と考えられた。芭蕉の句にも気吹戸主神の名が残る。

※岐神――
ふなどのかみ、くなどのかみ、ちまたのかみ。巷の神または辻の神。
古代日本の民間信仰において、疫病・災害などをもたらす悪神・悪霊が集落に入るのを防ぐとされた。
後には、中国から伝来した道路の神である道祖神と習合。そこから、道祖神も猿田彦と同一視されるようになった(日本書紀・古語拾遺で岐神と猿田彦は同一神とされている)。また、仏教の地蔵菩薩とも同一視される。
神の中には悪神・悪霊もおり、これらの侵入を防ぐために祀られたのが岐の神。このことから塞の神(さえのかみ)とも呼ばれる。

※天鳥船命(あめのとりふね)――
別名、鳥之石楠船神(とりのいわくすふねのかみ)。
記紀 神産みの段で、イザナギとイザナミの間に産まれた。鳥の様に空を飛べる。古事記の葦原中国平定の段では、天鳥船が建御雷神の副使として葦原中国に派遣された。日本書紀では、事代主神の意見をきくために稲背脛を熊野諸手船(天鳩船)に乗せて遣わしている(美保神社の諸手船神事の元)。
神名から船の神、運輸・交通の神とみられるが、鳥之石楠船神を祀る神社は少ない。

国史見在社(こくしげんざいしゃ)。
※六国史に記載のある神社のこと。国史現在社・国史所載社とも。ただし、「六国史」に見える神社はほとんどが式内社であるため、通常は式外社について用いる。
格式高い神社として、後世になって特別視された。





神栖市と聞いて「新世界より」を思い起こす某がマイミク様やフォロワー方々もいらっしゃることだろうが……。登場舞台は間違いなくココ神栖市だが、舞台背景は奥多摩である┐( ̄ω ̄)┌ 冒頭の現代風景は阿佐ヶ谷である。
神栖市は北側の鹿嶋市以上の規模をもつ工業地域である。

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